19XX年4月1日 メイド・グッバイ
◇終わる世界で告げる言葉

「やれやれ」

「相変わらず、好き勝手言ってくれる」

「ああいうところは、昔から変わらないな」

「なあ、ネオン? ネオン・スカラ」

 立ち上がって、男子生徒はネオンを見る。
 どこか困ったように笑う彼の姿を、ネオンは知っているような気がした。
 名前、呼ばれて――確か、彼に名前を呼ばれたのは、初めてのはずなのに。
 どうしてか、以前にも呼ばれたような気がする。

「会計だ。清算を頼む」

「あ――は、はい」

 目の前の彼と、どこかで会ったことがあるのか?
 必死に記憶を辿るが、不意に伝票を突きつけられた。
 慣れない手つきで会計を終えると、男子生徒は背を向けて出口へと歩いて行く。

「あ、あの――」

 ――どうして、だろう。
 ――彼をこのまま、見送ってはいけないような気がして。
 ――気付けば、あたし。
 ――声、かけていた。

「ああ、そうだ」

 ネオンの声に応えることなく。
 男子生徒は立ち止まると、ゆっくりと振り向いて――

「その制服、よく似合ってたよ」

 彼の輪郭が、ぼやけていく。
 両眼の黄金瞳によって、その擬態が暴かれていく。
 特徴のない男子生徒の姿は崩れていき、代わりに現れていく姿。

 現れたのは――ひとりの男、だった。背の高い男。
 指定制服とは異なる黒色の式典制服を纏い。
 足も悪くないのに、杖を片手に持って。

「ここにいる俺は、かつて学園都市に存在した記憶の残滓だったが」

「こうしてもう一度、お前に会えたのなら」

「これ以上、望むことはないさ。満足だ、最高にな」

この異能空間は、祭の終わりを嘆く学生たちの思念で構築されている。
 ならば、この学園都市に存在した人物も、同様に再現されている。
 かつて、この学園都市に存在した男。
 幼い頃、初恋の相手の望みを叶えるため魔法使いになった少年。
 その手を血に染めても、必死に彼女へ手を伸ばした人。
 そんな彼の姿を、ネオンは確かに知っていた。
 
「マック――!」

 ――気付けば、あたし。
 ――いつの間にか、彼の背中に抱きついていて。

「マック! ねえ、本当にマックなの!?」

 ――もう、この手を離さない。
 ――離したくない。
 ――彼の温もり、確かめたくて。
 ――身体、強く抱きしめていた。

「悪いな、さっきも言った通り……ここにいる俺は、学園都市に刻まれた記憶の残滓だ」

「異能によって、再現された記録に過ぎない」

「だから、ここが消えれば、同様に俺も消え失せる」

「本当は、こうやって顔を見せるつもりもなかったんだが――」

先生マスターにああ言われちゃ、仕方ないだろ?」

 再会すれば、ネオンを悲しませることになる。
 例え泡沫に消え去る夢であっても、彼は決して彼女を悲しませることは望まない。

 しかし――

 そんな彼の考えを変えさせたのは、師の言葉だった。

「消え行く世界だからこそ、言えることもある」

「きっと目を醒ましたら、お前は忘れているだろう」

「それでも、聞いて欲しいんだ」

 ――真剣な声、言葉。
 ――だけど、優しい声で。
 ――彼はそっと、あたしを抱きしめ返す。

「俺は、お前が好きだ。ずっと、好きなんだ」

「お前があの人のことを想っていても、その気持ちは絶対に変わらない」

「それだけを、伝えたかったんだ」

 彼が想いを告げた瞬間、世界が揺らいでいく感覚をネオンは察知した。
遠くから聞こえるのは、迸る雷の轟音。
 祭の終わりを惜しむ者たちによって構築された世界は、もうすぐ消え去っていくのだと理解する。

「ずる、いよ……」

「どうして、こんな時に」

「そんなこと、言うの……?」

 テスラの言葉を信じるならば、ネオンは今日の出来事を忘れるのだろう。
 そうなれば、彼の言葉もまた同様に。
 彼女にとって、それは最も残酷なことだった。

「ゴメンな。結局、そんな顔させちまって」

「でも、さ。こうでもしなきゃ、きっと言えなかったんだ」

「報われたいわけじゃない。褒められたいわけじゃない」

「ただ、知って欲しかっただけなんだ。
例えすぐに消え失せる夢だろうと」

「――俺は決して、後悔なんてしていない」

「出会えて、よかった。お前に恋して、本当に幸せだった」

「だから、さ」

 泣きすがるネオンをそっと引きはがして、マクレガー・メイザースは微笑む。
 優しい顔で。笑いかけながら手、伸ばしていた。

「最後は笑って別れようぜ」

「なんせ、俺が好きになったのは、そんなお前だからな」

 彼に涙を拭われると、ネオンはもう後悔はしていなかった。
 もらった言葉で胸、いっぱいにして。

「……うん」

「あたしも、マックのことが――」

「マックが――大好き!」

 そして、世界は崩れていく。

 ネオンが最後に目にしていたのは――

 マックが最後に目にしたのは――

 互いが大好きだった、それぞれの笑顔で――