19XX年4月1日 メイド・グッバイ
◇祭の終わり

「まったく……よもや夢の中であろうとも、あれと遭遇するとは」

「夢、ですか?」

「いや、気にするな。こっちの話だ」

 偵察を終えて店への帰り道。
 盛大に溜め息を吐くテスラに、ネオンは問いを投げ掛ける。

「えっと……マスター、あのひとは?」

「かつて、同じ師を仰いだ同門だ。一応、兄弟子でもある」

 どこか複雑そうな表情で、テスラは苦々しく答えた。
 そんな彼の姿を見て、ネオンは追求することはしなかった。

「ただいま、みんなお待た――」

 喫茶同好会の店へと戻ってきたふたりは、裏口から中へと入る。
 しかし、違和感に気付く。

「あ、れ……みんな……?」

 店の中は、もぬけの殻だった。
 静まり返った店内をネオンは見渡す。

「イズミ? ジョウお姉ちゃん? ヴァルター君? ベルタちゃん?」

 呼びかけるが、声は返って来ない。
 既に姿を消している彼らは、ネオンの呼びかけには応えなかった。

「――よお、帰って来たか」

 そんな中、声が返ってくる。
 ネオンが呼びかけた、誰のものでもない。
 そこにいたのは――

「なるほど、やはりか」

 ふたりが出て行った時と変わらず、テーブル席に腰かける人間の姿。
 最初の客であった男子生徒の彼の姿を見ると、テスラは納得したように声を漏らす。

「え、マスター? それって、どういう――」

「ネオン。今日は何月何日か覚えているか?」

「いきなり、どうしたんですか? 今日は学園祭初日ですから――」

「残念だが、学園祭はとうに終わっている。そう言ったら?」

「――え?」

 テスラの言葉の意味が理解できず、ネオンはただ呆然と声を漏らす。
 
「この空間は異能そのものだ」

「いや、どちらかと言えば……あの殺人道化師の件に近いものがある」

「学園祭を終えた時、『まだ祭を続けたい』。
そういった学生の思念が長い年月を経て蓄積し、こうしてかたちを成した」

「つまり、この空間に止まる限り、学園祭は続行される。
ただし、それには〝観測者〟を必要とした」

「異能に飲まれてもなお、自我を保ち続けられる人間。
それを観測者とすることで、学園祭は再演される。
だから観測者がいなくなれば、異能によって再現された役者は消え失せる」 

「そして、この場合。観測者とは私とお前だ」

 テスラの《世界介入》とネオンの両眼黄金瞳。
 異能への耐性があった故、ふたりは異能空間へと取り込まれることを免れた。
 そして、彼らを中心にこの世界は構築され、観測者の目が届かなくなった役者は消えていく。

「……もっとも、どうやら例外はいたようだが」

 テスラの視線は、男子生徒へと移る。
 当の本人はどこ吹く風で、軽く肩を竦めていた。

「しかし――」

「終わりのない祭など、存在はしない。
終わりがあるからこそ、日常と非日常は際立つのだからな」

「故に、幕を下ろす必要がある。
ならば、私はそれを為す舞台装置デウス・エクス・マキナとなろう」

「あの女のいる学園都市など、御免被る」 t

 そう言うと、テスラは店の出口へと向かって歩き出す。
 やがて、男子生徒にすれ違う瞬間、彼は静かに口を開いた。

「先ほども言った通り、これは泡沫の夢だ。
一日で消え去る幻想だ。
ネオンの黄金瞳を以てしても、ここでの記憶は残るまい」

 ――雷電たるこの身以外は。
 忘却を剥奪された男は、きっと今日の出来事を忘れることはできない。
 しかし、例外は彼だけだ。
 祭は終わる。
 幻想は消え去る。
 春の夜の夢など、朝の日差しと共に醒めるだろう。

 しかし――

「だが――」

「だからこそ、言えることがある。違うか?」

「……まったく。あんたには、かなわないな」

 諭すような言葉を受けて、名無しの男子生徒は大きく嘆息した。
 その表情は苦々しいが、どこか嬉しそうでもあった。

「いつから気付いてたんだ?」

「無論、最初からだ」

 端的に答えると、テスラは再び歩き出す。
 ポンと男子生徒の肩に手を置いて、最後の言葉を残して店を出て行った。

「後悔はするなよ。こんな世界ならば、お前も遠慮する必要もあるまい」

「今日くらいは、自分のやりたいようにやれ」

「さあ、気張れよ〝少年〟。お前もまた、輝きを胸に宿しているのだから」

 カウベルの音と共に、テスラの姿は店外へと消えていった。
 後に残ったのは、状況がまだ飲み込めていないネオン。
 そして、苦笑交じりに肩を竦める男子生徒のふたりだけとなる。