19XX年4月1日 メイド・グッバイ
◇偵察行列に並ぶこと小一時間。
ようやく店内に案内されたネオンとテスラに、酷く無機質な声が投げ掛けられる。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「お帰り……?」
声の主は、レースの装飾も美しい黒のメイド服に身を包んだ少女だった。
人形のように精巧な美しさと、それを引き立てるような無表情。
『せばす』と書かれたネームプレートを付けた少女は、
「はい。いいえ」
「我々はメイドです。
そして、この喫茶店のお客様はご主人様として扱われます」
「ですので、来店の際は『お帰りなさいませ』と迎えるのが当店の流儀です」
「そ、そうなんですか……」
淡々と語るセバスに気圧されるように、ネオンはゴクリとつばを飲み込む。
「では、こちらへどうぞ。お席に案内します」
「あっ、はい。ホラ、マスターも行きますよ?」
「ん」
端的に告げると、セバスは店の中を闊歩していく。
彼女に置いて行かれないように、ネオンは物珍しげに店内を見渡していたテスラの手を引いてあとを追っていく。
「なんだか、可愛らしいお店ですね」
セバスの後ろを着いて行きながら、ネオンは思わず声を漏らした。
パステルカラーの壁紙に、様々なファンシー雑貨。
しかし、アンティークな調度品が、しっかりと存在感を主張している。
店員は皆、可愛らしいメイド服を身に纏っている。
どこか現実離れした、御伽の国に迷い込んだような空間。
その雰囲気に、ネオンはどこか感動すら覚えていた。
「しかし、些か少女趣味が過ぎる」
「そうですか?
女の子はきっと、こういうの嫌いじゃないと思いますよ」
「そんなものか」
「ええ、そんなものです」
どこか釈然としないテスラに、ネオンはクスッと笑みを漏らす。
「ご主人様」
しかし、突如としてセバスは立ち止まる。
見てみると、彼女の視線は、席に座って煙草を燻らせている男性客へと向けられている。
「ご主人様。当店は禁煙です。喫煙はご遠慮願います」
「……あぁ?」
声をかけられた男性客は、不機嫌さを隠そうともせずにセバスを睨む。
「おいおい、嬢ちゃん。
俺たちは〝ご主人サマ〟だろ? メイドがご主人に逆らうってか?」
窘められているにも関わらず、ニヤニヤと笑って取り合おうともしない。
それどころか、空いた皿を灰皿代わりにすらしている始末。
よくよく見れば周囲の客も、どこかいたたまれなさそうに彼を見ている。
「ま、マスター……」
「やれやれ、仕方ない。こちらも今は客ではあるが――」
心配そうなネオンの視線を受けると、テスラは男性客へと踏みだそうとする。
しかし――
「――――」
セバスは男性客の前に置かれたグラスを掴むと、その中身を彼の顔面へとぶちまける。
「ッ、メェ――!」
男性客は一瞬なにが起きたか理解できなかったのか、呆然としたまま濡れ鼠になる。
そして、ようやく状況を飲み込んだのか。
顔を紅潮させて、セバスへと掴みかかろう手を伸ばす。
「お帰りくださいませ、ご主人様」
「痛ぇ! 痛い痛い!!」
セバスは身長差をものともせず、掴みかかってきた男性客の腕を捻り上げる。
すると男は苦悶に顔を歪ませると、必死に許しを請おうと懇願する。
「伝票をお忘れなく。二度とご来店しませんように心から願っております」
「ちくしょう! とんでもねぇメイドだ!」
セバスは男性客の手に伝票を握らせると、拘束を解除して解放する。
男性客は脱兎の如く逃げ出して、あとには周囲から拍手喝采を浴びるセバスの姿があった。
「申し訳ありません、ご主人様方。お騒がせしてしまいました」
先ほどの騒動などなかったかのように、涼しい表情でセバスは頭を下げる。
「あ、いえ……その、すごかったです」
「ん、ご苦労だったな。こちらは別段、気にしていない」
「はい、いいえ。お気遣い、痛み入ります」
謝罪を済ませると、セバスはそのままふたりを席へと案内する。
案内を終えて去って行くその背中を、ネオンはしばらく眺めていたのだった。