19XX年4月1日 仮想給仕遊戯《断章》
《幕間:異装衣装》

此処に来たと同じ位、一方的なそれ。宣言された内容と、渡された衣装に戸惑いながらも。
更衣室或いは、上階の個室で着替えて着た彼等が再び、階下の使用人ホールに戻れば、先程よりも、賑々しい活気があって。
彼方此方に集った彼・彼女達が話の輪を咲かせていた。
男姿の女達と、女姿の男達。異様ではあるが、異装と云うのは人の心の綾を擽るものである。
僅かな気恥ずかしさと照れ隠しに、浮かれ上擦る気持ちの儘。恰好の話題があるのだし、自ずと其々の既知達と語り合わずにはいられないだろう。

装う事に抵抗感の少ない、女性達ならまだしも。男性達も気恥ずかしさはあれど、卑屈にならず堂々と振る舞えるのは、本人達の割り切りだけでなく。
年若い者でない限り、装飾を抑えたデザイン性もあったからもあるかもしれない。

妙齢の女性達には、白いシャツと黒いウールサージの三つ揃え――片前三つボタンの上着(ジャケット)、胴着(ウエストコート)、スラックス ――と、
其々色違いのネクタイとチーフ、カフス釦、綿繻子の白手袋、黒革靴のセットであった。

「脚の線が出るのは、やはり恥ずかしいのだけれど。
 紳士服って、とても動き易く出来ているのね。行動的な女性が着たがるのも無理はないわ」
髪裾に、銀糸の入ったリボンを結び直しながら、エリシアは微笑んだ。
「ええ。これなら、もっと早く走れそうね。でも、あの時はちっとも思いつかなかったのよね」
プラチナ・ブロンドを巻き上げたメアリが同意して頷く。
「……うちの学園も体育やスポーツ系の部活で、長ズボンで活動してましたから。凄く楽ですよね……」
上着と三角巾を豊かな胸元に抱えたネオンはそう言った後、一旦女達の輪を離れて、厨房へ向かう。

カダス地方のエイダ主義のお陰で、女性が自立し、先進的な行動を取るのも、社会に浸透しつつある昨今であるが。
一部の文化慣習、個人の主義主張は別として、女性が男性服を着ると云う機会は然程なくて。
ここに居る何方かと言えば先進的に分類される女性達も、髪を短くすることはあっても、何故か普段は「女性らしい服装」を好む傾向があった。

「あたしは、カダス方面で、こういう身体だけど、やっぱりね――
……いや。これと、さっきのあれは本当に別なんだけどさ」
女はふかふかとした黒い猫の手を振りながら。先程の可愛らしさと色っぽさを強調した女給服も似合っていたが。少々傳法な口調にはこうして締まった男物にも大変似つかわしい。
「ええ。よく解ります。アティ」
「……やっぱり素敵な服が着たいものね」
メアリの言葉に、女達は力強く頷き合って。
そう云う意味ではこの衣装。
幼気だが、しっかりした物言いの少女が仕立ててくれた三つ揃えは、下は動き易く、上は丈長く、気になり易い部分は隠せるデザインで。
しかも、さり気なく入れられたチーフポケットの連続歯車の刺繍といい、女心を擽るお洒落さも忘れない優れたものだった。
「あたしはいっつもズボンで動いてるし、こっちの方が楽だからいいけれど。お洒落は嫌いじゃないわ」
豊かで長く赤い髪を一括り、幾何学模様入りの三角巾(バンダナ)で纏め。今も変わらぬエプロンと、今度はブラウスの代わりにシャツを腕まくりしたコニーは半ばの同意で。
厨房に入るから、上着は必要なく、胴着のみを付け、スラックスも広幅で裾も短めに仕立てられてまでいるのが大変難有かった。
「まあ。セバスも女中服だと普段と余り変わらないのさね」
「ええ。新鮮な感じがするわ。似合っていてよ」
「本当。よく似合ってるわ、セバス。」
表情を余り見せる事のない。人形めいて美しい少女の黒と白の衣装は装飾も生地も豪奢でいて、御仕着せとは言えない部類だったが。
さっきまではエプロンを付けただけで押し切っていた。
皆と揃いの「三つ揃い」に包まれた身体は、想像した以上に華奢であったが、背筋の伸びた感じも、硬質で静かな佇まいも。
軍服と背広では少し違うのだけけれど。背の高い彼女――男装していても女性で在り続けたひと――の面影がどうしても重なってしまわずにはおられなかった。
「いいえ、はい。メアリ・クラリッサ。わたしは件のタイプ・モランではないと……
 ですが、この衣装に奇妙な安堵感が有ることは否めません。『しっくりくる』と云うべきでしょうか?」
「……ええ。やっぱり、似てるのよね」
メアリは小さく呟やき。満更でもなさそうなセバスを見つめ、小さく微笑んだ。


賄いとして、お茶や試作品の焼き菓子(ペイストリー)類、サンドイッチ等が入った容器が、色取り取りに並べられた、一番厨房に近い長机の近くには、少年少女達が集まっていて。
十代半ば頃とされる四人の歳若い少女達は、濃い目の灰色の三つ揃いの上着、中着と色違いのリボンタイ、チーフ。
内、下穿きだけは、仏国王政時代風の膝丈のキュロットに黒長靴下と濃茶の革靴と云う出で立ちだった。

「ありがとね。キーア。尻尾穴の部分もちゃんと快適だよ」
白くてふさふさの尻尾を揺らした、シェラが笑ってお礼を言う。
「本当? 良かったわ。おかしくなったら言ってくださいね」
「さっきの服も可愛かったけど。これもぴったりしてて着心地良いよ。うん、好きの部類」
少年の恰好をしていた時は、ぶかぶかだったから。良く解らなかったところもあったけど、ぴったりした服はとても快適。
「わたしも、以前着てみた事があったのだけど、これ本当に動き易くって!」
「男の子の服だったら、うんうん。足広げたぐらいじゃお行儀が悪いなんて言われないからね!」
「あ、それ理解るよ。本当にAってば……」
「ええ。みんな着てくれて、本当に嬉しいわ。 頑張った甲斐、あったもの」
にこにこと上機嫌な亜麻色の髪と薄赤色少女の微笑みは、その声音と同じく、春の暖かくて優しい風を思い起こさせる。
先刻の年齢よりも大人びたな物言いとは違い、歳相応の熱に浮かれた口調で、歓びを顕にし頬も薔薇色に染まって。
「キーアもね。皆がしてる様に。格好良い紳士物、一度着てみたかったの。
だけど、中々機会がなくて……だから、《お祭り》の際に作ってしまいました!」
と。楽しそうに秘密を教えてくれて。
聞けば、蒸気式の古いミシンで 殆ど全部縫ったとか。例外はあったそうだけど。
「本当に、凄いわ! 中々出来ることではないもの!」
髪も瞳も黄金色で、今はきっちりと結い上げて、複雑な形に纏め上げている。
男の子の恰好をしていても。まるで、お姫様みたいに綺麗なクセルは手を組み合わせ、驚いていて。

逆に少年二人は先程、少女達が着ていたのと略同じ様な。
丈の短い黒いワンピースだったが、襟刳りが深くて、中の白いブラウスのフリルが見える様になっていた。
リリィの「翠の服」にも近しい形式(スタイル)であった。
スカートの中にはきっと、たっぷりのパニエと段々のペチコートが入っているのは、少女達に容易に想像が付く。
勿論。白のブラウスにも、ワンピースにも、そして、半円形の前掛けエプロンにも、たっぷりレースとフリルが付けられていた。
細めのズボンと脛下までの短い編み上げのブーツを履いて、頭にはフリルの頭飾りが付けられている。

「僕……こんなに短くていいのかな?」
落ち着かない様に、スカートの裾を引っ張っているアスルの仕草は、少女達にも既視感があって。
「女の子ってこんなに不安定な丈、良く着れるんだね、感心するよ」
ちょっと澄ましてレヴィが言うが、こちらもよく見れば同じ仕草だった。
「ええ。短すぎるのは、困るわよね」
「心配しないで。大丈夫よ。色々中に入れてるのだし」
「あーっ! シェラが着ていた時より可愛いじゃないの!
 ……けど。見てて、可愛いからいいや!」
「可愛かったら許されるんだ……」
「うん。そうだよ。『可愛い』って大事だと思う」
「凄く可愛いと思うの。その眼鏡も可愛いわ」
「……女の子ってさ、いつもそう言うんだよね。やっぱり価値観なのかな?」
「そうだね。肯定ではあるんだよ。いい解釈なんだよ」
「そうだよ。可愛いは悪くないもね~」
「ええ。二人共、似合ってていて。素敵よ」
アスルの後ろの三つ編みを見つめていたクセルは、小物入れからブラシを取り出して。
「アスル。その三つ編みのままもいいけれど。巻いて上げるわ。
その姿ではそうする方が良いみたいですって! こっちにいらっしゃい?」
「うん。頼むよ。クセル」

既に友達らしい四人は後ろ側の椅子に座り、アスルの赤くて、青が掛けられた髪を弄り出していた。
付いて行った方が良いのかな?と、隣にいるキーアを窺おうとして。
視界の端で。宙に黒い玉がふわふよ浮いている。ふと気になってよくよく見れば、知った顔?

「あ。きみもいるんだね!」
目敏く見つけたリリィが歓声を上げた。
仔猫の様にすばしっこく伸び上がると、黒くて赫い目の丸っこい仔を両手でキャッチして。「お久しぶり。元気にしてた?」挨拶をするものの。
一瞬だけ頷いたように目を合わせてくれたが、すぐにふいっと、別の方向を向いてしまう。その先には。
「あらあら。丸くて、黒くて、目が赫くて、可愛らしいのね。その仔」
上機嫌のキーアがにこにこしながら、興味津々と見つめていた。
「大きさと形は機関精霊、みたいね」
「あたしはグレムリン思い出したけど、違うんだよねえ」
其々の少女達の頭に浮かぶのは「鉄で出来た小さくて可愛いもの」だったけど。それらにはかなりの乖離があった。
その仔も自身もキーアに興味ありそうみたいだから、そっと彼女に渡す。
赫い単眼にふわと微笑み掛けて「こんにちわ黒玉さん」と挨拶しながら受け取って。
「何かふにゃってしているのだけど、とてもふわふわもしてる。不思議だけど。可愛いわ!
 キーアは好きよ。この子」
黒玉も微笑む少女の薄赤色の瞳をじいっと見ていたが。やっぱりふいっとそっぽ向いてしまう。
偉そうなんだけど照れ屋さんなんだろうね、とリリィは推測する。
「可愛いよね。黒くて、赫くて……
そうだ。この仔も黒いなら!でも男の子か女の子かも分らないけど……」
「折角、《お祭り》なのだもの……
リリィ? この仔よろしくね」
リリィの意図を察したか、同様の事を考えていたのか。キーアは黒玉をリリィに渡すと、徐ろにポケットの中からレースの切れ端と端切れを取り出し、手首に付けていた針刺しから縫い針を抜き取ると、
片手でさっと、目分量のタックを取りながら、端切れを縫い出した。猛然とも言える運針だが、がさつな所がなく。まるで機関式ミシンにも似て、迅速に、正確に。
あまりの事に、リリィも黒い仔も目を開いてぽかんと見守るだけで。
布片が明確な形に変わっていく。まるで魔法の様に。あっという間に出来上がった、フリル付きのエプロン、ちゃんとレースで出来ている頭飾り。
二人して頷き合ってから。黒玉の目玉を潰さぬような所に飾りを被せて、付けた。
やっと意図に気付いたのか? 最初はぷいぷいと嫌がる素振りを見せたものの。二人の少女に寄って集かられ、抑え込まれ、かわいい、かわいいっと言われ続けた末に。とうとうメイド装飾が施された。
「もっと可愛くなったわね。小さな黒玉さん」
「ほんと可愛いねえ」
自身達の仕事に満足そうな笑みを浮かべる、二人の少女。その手の中で、怒ったのか満更でもないのか、分かり難いが、両手と胸を張って少し大きくなってるようにも見える、黒玉。
それにしても。端切れから即興でこんなに可愛い物を作れるなんて!と。今リリィ達が着ている服のデザインや直しも彼女だと言うから、納得もするけど、やっぱり凄い。
憧憬と尊敬で胸を一杯にしながら隣の少女を見つめて。お料理とお裁縫が得意なのは、ちょっとだけAみたいだなと。思ったけど……全然違うよね。失礼かもしれない。

折角だからリリィは近くに居るクセル達にも「どう? 可愛いでしょ?」と見せようと差し出そうとしたのだが。
しかし、こちらを向いた黄金の髪と双眸の少女は、さっと表情を陰らせて。明らかに怯えを含んだ声で。
「……ごめんなさい、ね。ちょっと…わ、あたし苦手かもしれない。……折角見せようとてくれたのに……」
身を引かせ、小さく頭を下げた姿に、はっとして。
「あ。ごめん。こっちこそ……」
クセルは、リリィを心配させない様、丁寧に。リリィはこれ以上怖がらせない様、咄嗟に黒玉を背中に隠せば、そっとキーアが引き取ってくれて。
「いいのよ。気にしないでね」
「……う、うん」
怯え気味のクセルだったが、それでも平静を装い、一緒に居る少年達と共に後ろに下がる。
少女のの異変に気付いた。丈の短い女中服のアスルが、こっちを見ていたのか「ホラーもどき?」と呟いていたが。
囁くように、だがはっきりと否定した。
「いいえ。アスル。……あれは違うもの、よ」
「え? そんなのもいるの?」
もう一人の猫の女の子、シェラの驚く声がして。もう一人の眼鏡の男の子もこちらを向くのが理解る。
多分それ知ってるの? と訊ねたかったが、今は無理そうだし。後で、にしよう。
「クセル? ……大丈夫?」
「ちょっとびっくりしてしまっただけ、だから」
黄金の双眸で僅かに微笑む。大丈夫よあなたのそばにいるのだもの。

「悪いことしちゃった、な」
「ええ。ごめんなさいね」
――そっか。怖がる人もいるんだね。気を付けなきゃ……
「でも、きみ。こんなに可愛いのにねえ……」
慰めるように天辺の飾りを避け、よしよしと撫でた。
エリシアさんにも見せたかったけど、大丈夫なのかな? と悩み始めた、途端。
メイド装飾を付けられた黒玉は、度重なる少女達の仕打ちに耐えかねたのか、収まっていたキーアの手からつるりと滑る様に飛び出すと、落ちずにぽうんっと高く跳ね飛んで行ってしまった。
「あ。行っちゃった。嫌だったのかな?」
「構いすぎちゃったのね……あたしも、浮かれすぎてました」
少女二人、しゅんと悄気げ。申し訳ない気持ちだけが残されて。
「ま。そういうこともよくあることさ。次から気を付ければいいって。ふたり共」
ぽんぽんと其々に柔らかくて暖かい、猫の手が載せられ、励ます言葉与えられ。
「さ。顔を上げて。
また、動き出さなくてはならないからね」
眼鏡の奥の青い瞳、細められ、穏やかで優しい声に促されて。
燥ぐ少女達をずっと微笑ましく見守っていてくれた、ふたり。キーアにとっては大事なひとたちで。
リリィにとっては余り知らないひとの筈なのに、何故か、知っている人のような気もして。
「うん」「ええ」

「うむ。伝統的(トラディショナル)に磨かれた機能美ではあるが、ここは矢張り白の配分が多い方が落ち着く……」
身だしなみ用の姿見の前で、二枚のエプロンを交互に当て見定めていた雷電の男を見咎め。三角巾と上着を抱えたネオンが黄金の双眸を見張り、右手を突き付け、弾劾した。
「って、マスター! さっきからエプロンがないと思ったら! 勝手に持って行ったら駄目でしょう!」
彼女はどうやら件のエプロンを探していたらしい。女中服を纏っていたとてマスター・テスラは堂々たる態度を些かも崩さず。男装した輝きたる少女を満足そうに眺めやる。
「ひとを指差すなと教えた筈だぞ。ネオン。
 愛しいお前の大切な縁(もの)だ大事に扱うさ。こちらの方が白が勝るのでな。
 その従者姿もプロポーションの出し方が素晴らしいな。結構、結構。良い仕事だ。あの少女(こ)には一瓶贈呈せねばならんな」
「あたしの話聞いて下さいってば! マスター!
 兎に角。あたし厨房入らないといけませんから。それ、返して下さい、返して、返せ!」
「……そうか。お前が其処までいうのなら、仕方あるまいか」
妙に残念そうな面持ちで、返してくれようとしたのだが。ネオンが手に取ろうと伸ばした手を引っ張られ上から被らされ、くるりと向きを変えられて、彼の手自ら腰に蝶結びが作られた。
「もう。びっくりした。子供扱いしないで下さいってば!」
「是位は構わんだろうに」
ぽんぽんっと腰とお尻との微妙な辺りを合図の如く軽く叩いてみせるのだから。
「ちょっと! マスターってば!!」
少女は更にいきり立って――

「これで構わんのだな。コニー」
青年が纏う男性用の女中服は、純白の飾り襟と袖口が付いた以外は、黒い綿地の前釦のワンピースで、総丈(フルレングス)の外套めいたデザインであった。
膨らんだ提灯袖(パフスリーブ)も何方かと云うと肩当(ショルダーガード)の様で、無骨ささえ感じるものだった。
その分、白エプロンはフリルとレースがふんだんに使われているものだったが、全体を通すとまだ控えめに見せている。
頭には、フリルとレースが付いた髪飾りが付いていて。
「いいわ。ありがとうね。カル。
でも本当の所。もっと嫌がられるかと思ってた」
コニーは茶目っ気たっぷりにウインク一つ。さり気なく手を伸ばし。カルベルティのエプロンの襟元を整える。
されるがままの彼は、厳つい提灯袖の肩を竦めて息を吐き。
「まあ。これならコートとさして変わらん。
……ズボン着用可でなかったら絶対に断った」
だが。それも無駄な抵抗だと、彼は知ってしまい過ぎているだけだが。
「そこは程度ってものを解ってるからね。良いバランス感覚してるわ、彼女。」
口数少ない青年には珍しく、言葉を続けて。遠くを見やりながら。
「しかし、あの子達や連中は知らんが……あの『旦那』まで着るってのが驚きだがな」
「確かに。そうね。
コンセプト決めた時。一番に嫌がられるかな?って思ってたし」
黄金の目線に、空の様な青い瞳がそれに続いて。
「メアリのお陰よね。
『好きにしろって言ったのは貴方よ。ジェイムズ。――だから。好きにさせて貰うわ!』
――って堂々と啖呵きってたんですもの」
「ああ。胆力あるからな」

件の話題の紳士。昼間はダブルのスーツを着ていた漆黒の男は、眼帯もそのままに、黙って受け取った女中服を早々と完璧に着こなした儘。
憮然と先程と同じ恰好で、長机の中央に陣取り。今度は異国語らしき新聞を読み耽っていた。
その風情には、妙に迫力と只ならぬ雰囲気を有し。周囲をさざめかせる。

他の黄金瞳の少女達も自然とコニー達の側に寄って来ていて、遠巻きに伺いながら、密やかに。
「何か。めちゃめちゃ怖かったよ~
 いつも以上に観ないようにしてるんだけど~」
と言いつつ、ちらちら見ては、「うう。怖い~」と毛を逆立てるシェラ。
「もうやめときなよ。ついさっきもクセルさんがおかしかったし。わざわざ……」
「うん。クセルと離れた所に行っとくよ。まだ変なのいるっぽいし……」
レヴィの云う通り、素直に。尻尾を警戒するように揺らしながら、抜け出ていって、黄金の少女を促し、別の長机の端に着く。
シェラとクセルを見届けて、そっとこちらを窺ったアスルは、こう口にして。
「けど。本当に怒ってると時とは違う気がするんだ……」

「何か、スーツ姿の時よりも迫力増してません?」
「ええ、凄く仕事が出来そうな。迫力があるわ」
「確かに。ええ。そうだわ。箒とかだけで、一師団体でも殲滅させそうですよね」
「確かにそっちでも」
「あるじなら平素でも可能です」「やっぱりそうなんだ!」
「歴戦の兵士(つわもの)みたいだわ」
「二代目メイド長は彼に決まりね」「あ、本当にメイド長って感じよね」
皆に遠巻きに眺められながら、好き勝手に設定が作られていった……


「元来。あれには、外見はおろか性別も関係ないものだろうに……」
件の漆黒の男とは反対側の端にい陣取り。別の新聞を読みながら。
愛しき輝きに、悪戯の制裁を食っても尚、堂々たる雷電の男が嘯けば。

「例え、黒の王であっても、根源本質からは逃れられない。か……」
事実断定ではあるが。であるなら、漆黒の奔流に連なる彼とて、同じ事で。
主たる少女とやはり一悶着あったらしく。距離と時間を置いていた。赫眼の青年が独り壁際に佇んで。


話題は尽きぬし、他愛無いお喋りは楽しいけれど、時間は確実に過ぎ去っていく。
さあ。動き出す時間だと。時計が告げねど、各々が螺子を巻き出して、再び動き出す。

「コニー。そろそろ厨房での準備に入りましょ?」
キーアは顔を上げ、家政を預かる意味を知る女の微笑み浮かべて。
比較的幼い少女であるがだが、こうしていると不思議に誰よりも年長者であるかの様にも感じさせて。
年長者としての自覚がある、コニーですら、この少女を余り年下として意識していなかった。
「わかったわ。行きましょう。ネオン?
「ええ。参ります」
「シェラー! クセルはいる?」
「白猫の子と金無垢の子だね? あたし。言っておくよ」
「ありがとう。アティ。
後から来た、慣れない方も多いから、宜しくしてね」
「悪いけど、アティ。メアリ。エリシア。誰か来る様にはしてるけど、暫く任せる事なるわ」
「男性陣は、ドクターとマスターが、なんとか、してくれると思うけど……」
「アスル君に何もかも任せるのは酷だからね。本当に頑張り屋さん過ぎるわ、彼……」
かと言って、彼等は怠惰で非協力的という訳で決してはない。
頼む頼まぬに関わらず、必要な時には力を貸してくれるし、頼もしい味方なのだけど……
女達には、彼等のどうしようもならない一部分(性格)が、心配なだけで。
そこが、直ぐに打ち解け、協力体制をも容易に取れる、彼女達とは違う点だが、それは致し方ない事。
「……でも、頼めば協力(手伝)ってくれるし。声は掛けて置きます」
「頼むわね。みんな」
「了解ってね」
「解りました。行ってらっしゃい」
「ええ。頑張ります」

比較的年長者の娘達に後を託し。
巨大な機関式の自動両開(スライド)式扉を潜り、男姿にエプロンと三角巾をキリリと締めた女達は厨房へ。
甘く香ばしい蒸気の残り香だけを微かに残して。

さて。こちらも始めましょうかと、頷き合い。其々声掛けをしようと、散らばった女達。
ふと、メアリの視界の端に黒いものが……
「あら。どうしたの?」


昼間用の濃紺のフロック・コートから総丈の女中服に着替えた、白髪赫目で褐色の背の高い青年は壁際に控え、主たる少女の動きを追い続けていた。
例え。纏う衣服が変わろうと、主から一時の不興を得ようと、第一優先は絶対に変わる事はない。

「あら。手袋したままなのね?」
本来の制服が丈長い外套が主だから、違和感は略ないが、白手袋だけは少し浮いている様な気もしないでなく。
側を通り掛かる序に、何気なく指摘したエリシアだったが。答えたのは、彼女を見つけて、寄って来たリリィだった。
「何か嫌みたいだよ。ま、あたしに触る時だってそれ、脱がないんだからさ……」
揶揄のつもりだったか、親しい相手への気安さ故か、さらりと飛び出した暴露(台詞)に、一瞬、周囲の視線が少女に集まった。
ひゅうっと、セルマが口笛を鳴らした。
自身でも思っても見なかった数々の視線に晒されて、たじろぎ、かっと血を昇らせたリリィは……
「ええええ? ち、違うよ。そうゆう意味で言ったんじゃあないからっ!! 
おふゅりょきゅがっ……もごもご……」
更にとんでもない自爆(暴露)を口走りそうになるが、咄嗟に背後から少女の口元を覆って収めたのは、エリシアだった。
隣迄来ていた従者を横目に見やりながら、溜息と共に。
「車掌さん? 流石に、こう云う時は止めておかないと……」
「いや。今は僕よりきみが早かっただけだよ。ミズ・ウェントワース」
青年は気を悪くした風でもなく、淡々と放たれた何気ない言葉だったが、覚えのあるニュアンスが女の記憶を揺さぶり、刺激する。
SかZかで単語の意味は違って来るが、余りにも酷似した発音だったので、一瞬、呆然とし硬直してしまった。
「ミズ? ……その儘ではリリィが窒息してしまう」
言った本人は他意も気付く由もないだろうし。冷静に促され、のろのろと覆っていた手を離し謝罪する。
「……あ。ごめんなさいね、つい」
やっと開放され、ぷはっ!!とやっと息を吸えた少女は、
「んもうっ!!」
呻いて、恥ずかしさに耐え兼ねたか、青年ではなく、その儘エリシアの腹部へ子供の様に抱き着いて赤らんだ顔を隠すものだから。彼女は自ずとあやす様に抱き止めるしかない。
「リリィ。言葉には……」
「もう黙っててっ!」
頭を隠し、文句もくぐもっては気勢が削がれてしまう。車掌姿でない青年は、主たる少女を抱きしめた母親で姉たる女毎、只々見つめ続けるだけで。
だがそれは、何処か微笑ましい物を見守るかの様で。エリシアにも少し擽ったく、妙にむず痒くも感じられたのは、先程の台詞もあるからであろうか。

「上級職には手袋を嵌める事例(ケース)もあるのですから、別にいいんじゃないですか?」
エリシアに声を掛けようとしていたメアリは、それとなくフォローを入れておいたが。それ以上周囲から、彼の手袋について言及される事はなかった。
この三人は暫く取り込みそうだから、もう少し後からでもいいかしらと、判断して、他の案件を先回しにすることにした。
メアリの手には。漂ってきた黒玉のような何かが収まっていた。赫い単眼と戯画化された鰭みたいな両手があって、奇妙で得体は知れないが愛嬌はあるかも知れない。
メイドみたいな装飾が付けられているし。何とはなしだけど、黒い飼い犬にも似てる気もしていて親近感も湧いた。
「ねえ。黒い貴方」同意を求めるように、呼び掛けられると、まるで照れた様に、赫い単眼はふいっとそっぽを向いた。


仮装、異装、衣装。普段なら在り得ないそれを纏って。これから仕事をするというのに。
大層、楽し気に歓談している彼等彼女等を、ふたり寄り静かに添い眺め。
白衣を着ていた少女と、黒い改造外套を着ていた青年。
今は彼等と同様に、三つ揃えの制服姿と、黒いコートじみた無骨ささえ感じるワンピースと可愛らしいエプロンの制服を纏っていて。
それにしても……特に身体の彼方此方が機械化している男の身体に合わせた衣服を作り上げていたのは驚きだったが。
まるで、夢の様だとは、嘗ても思った事だけど。今回はお芝居の世界の中に迷い込んでしまったかの様で。戸惑うばかり。
こちらに着くなり、こんな事になるなんて。唖然としたものだったけど。
元来、ジュネはひとに奉仕する立場であるから、こういう事もやぶかさではないのだけど。
キリエの望みを聞く前に、流されてしまった気もしていてならなかった。
どうも、彼等彼女等の、情熱、バイタリティには抗いがたい「何か」があって。
彼等の世界では、もう、殆ど失われたそれ。所謂、生命の力とでも云うのであろうか?
眩く、燃えて、輝き、焼き付いて、焦がれ、心に熱を灯すもの。

「その…悪くはない」
「どうしたの? キリエ?」
囁きの様なそれに。背の高い彼を少女は見上げて。続きを促して。
「……奇妙で滑稽だが、悪くはない」
夢なら、多少奇妙でも滑稽でも、色が付いていても、決して可笑しくない。のだから。
静かに、咄々と青年は続ける。夢であるならば、少女へ心少しでも、伝えようとして。
黄金と暗い色、色違いの瞳で、少女の灰色の瞳を見つめて。

「これが、例え、夢だとしても。
普段は許されない様な、可笑しな事をしていても。
ジュネは笑っていて、喜んでいる。
楽しそうにしているジュネを見るのは、僕も嬉しい事だから」

やはり同じ様に夢だと、考えていたのだと口にして。
それから。彼は何と?
……優しいキリエ あなた……
はっと、胸を抑えていた。赤く、熱く、潤む心。
ちゃんと微笑めているだろうか?
いいえ? 何もしなくとも、自然に、笑み浮かんでいて。
ジュネは心から想いが滲むような笑顔を彼に向けていた。

「ええ。ありがとう。キリエ。
あたしも、あなたがそう思ってくれている事が一番嬉しいの!」

もしも、これが一夜限りの夢だとしても、遺るものはあるのだと。
ひととの関わり、触れ合う事。素敵な事なのだと覚えていて、欲しいから。
あの時もそう、願った。信じた。今も同じ。
何時、覚めるとも知れないもので、本当に目覚める事が出来るのかさえも解らないものだけど。
ちゃんと目覚めた後にも。例え、忘れてしまう様な事になっても。
あたし達の明日(未来)を歩く力になるのだと信じていたいから。

ふたり、寄り添い。夢の様なひとたちを見つめながら。
ふたり、此処で、何かが出来るのかは解らないが。何かをしても良いのだろう――


「こりゃ壮観だね。唯でさえ、要観察案件が山盛りなのに。学園祭みたな事になってさ。
それに。きみの『男装』が見れるなんて、久々じゃないか。眼鏡は外した方が男前かな?」
「外されたら困るの!……ってセルマ。ぼ、あたしは元からっ!!」
そばかすの浮いた顔に悪戯な少年の笑みを浮かべ、軽口でからかってくれる相棒は何時も通りで。
一応この場には、長年調査中の人物や、潜入調査中の『顔見知り』達も大勢いるので、潜めた声も、「彼女」の口調と挙動も少年の儘であったが。しかし。
「……きみの方が遥かに『珍しい』と思うけど」
モニカが最初から特殊補正下着で「作っている」のとは逆に「消している」それを「普通にして」紳士物(普段着)でなく、女性物を着ているのは極希であった。
少年めいた顔立ち、男物の髪型。言動、気性、性別。やや硬目の作りの長いワンピースと装飾的なエプロン。色々ちぐはぐであるが、妙に似つかわしくて。
結局の所。モニカ自身も似た様なものであるのだが。着替えている時も、自身というものが迷子になってしまう様な不安を感じてしまったのも無理はないだろう。
「……むかつく……
ま。あんま落ち着かないがね。だが異装は『僕ら』の基本じゃないかい? 『舞台』には慣れている」
必要とあらば割り切れる、それが「彼女」の強さでもあって。
モニカはそこまで至れていない部分がある事を自覚しているけれど。頷いて。
「そうね。悲しいことにね。
報告書。書き直す必要が出てくるかもね」
それがまた頭を悩ませる事になるのだが……現在進行形で事態が進んでいる最中なのだから仕方あるまい。
彼等まで招かれた、この場の意図は全く読めずにいるが。好機でもあって。
嘗て、カダスは青の都で僅かに言葉交わした黒衣の少女の確認。そして、彼女に興味を持つ切掛となった女性。一時は生存さえ危ぶまれれていた「婦人E」の健在が確認された事には安堵を齎してくれたが。
無論。未だ接触にまでは至っていない。焦燥はあるが、急いては事を仕損じる。
セルマは濃い灰色の瞳を挑戦的かつ不敵に輝かせ。
「心配しなさんな、モニカお嬢さん。僕達には、どうってないって事さ!」
「だから。お嬢さんはやめてって……」

運命(フェイト)はあるか分からないが、偶然(チャンス)ならあるだろう。
いかなる場合でも、彼等は観察と調査の本分を全うするだけだ。


彼等もそれに感けているだけではないが。
美味しいお茶とお菓子と料理は潤滑剤。
お喋りはちょっとした待機運転である。
いざ。事が始まれば、一身集中し、勤勉に働くのは彼等の持つ美徳であった。

注文用の携帯秘書装置の扱い方のお浚いに、台詞の発声練習、数々の準備。まだまだやることは山積みで。
やがて。後を任された女達に拠って、用事を分担され、纏め上げられていく者達、動き出そうとする大勢の男女の中に。
他にも、先程の集会(ミーティング)は顔を見せていない者達も数人見受けられる様になる。
そう。例えば、長机の上でお茶のカップ片手に焼き菓子を頬張る少女服姿の 赤みを帯びた髪と玉虫色の瞳の少年。
彼のほっぺたに付いた食べ滓を摘むのか、頬を摘んでいるのか曖昧な。まるで影から溶け出した様な黒髪と、東洋的な美しさを印象付ける妙齢の男装の女性。
黄金色の猫耳を持つ少女姿の少年が、花束を持って、出入り口付近を通って行くのも。
そして。誰かを探す様な素振りをしながら、大きな木箱を両手に抱え軽々と運んで来る、女中服も従者服の何方も似合ってしまいそうな中性的な顔立ちの少年も、初めてかもしれない。
――まだまだ。時間は至っておらず。他の扉が開くこともあれば、そうでないこともあるかもしれない。